93回引越し・30回改名・90歳まで描き続けた男——北斎の謎を科学で解く

「70歳より前に描いた絵は取るに足らない」と自ら言い切った天才は、 なぜ変わり続け、なぜ老いても傑作を生み出し続けられたのか。 歴史・脳科学・美術科学の3つの視点から読み解く。

葛飾北斎(1760〜1849年)は生涯に93回引越し、30回改名し、3万点以上の作品を残した。代表作『冨嶽三十六景』を発表したのは70歳を過ぎてからだ。90歳で死の床についた北斎は「天があと10年、いやあと5年命をくれれば真正の画工になれるのに」と言って逝ったとされる(『葛飾北斎伝』)。なぜこの男は変わり続け、老いても傑作を生み出し続けたのか——その答えは脳科学と創造性研究の中にある。

93
生涯の引越し回数(うち新宅を構えたのは49歳のとき1度のみ)

30
生涯の改名回数(号・雅号の変更)

3万点以上
現存する作品数。70年間休まず1日1枚以上のペース

なぞ太

93回も引越して30回も改名するって、普通じゃないよね。天才だからって片付けていいの?

かぎねずみ

面白いのは、この「異常な自己更新」と「老いても衰えない創造性」の2つが、現代の脳科学と創造性研究で説明できる点だ。北斎は理論を知らなかったが、結果的に「創造性を維持するための行動」をとり続けていた可能性がある。まず生涯の流れを追おう。

目次

掃除嫌いの天才——北斎の生涯と「変わり続けた」理由

1760年(宝暦10年)

江戸・本所に生まれる——幼名は時太郎

現在の東京都墨田区に生まれた。幼名は時太郎、後に鉄蔵と称したとされる。父親については諸説あり(Wikipedia「葛飾北斎」)。少年期は貸本屋の小僧として働いたという説があるが出所は不明とされており、14〜19歳ごろは木版画の版下彫りを生業にしていたことが記録に残る。

1778年(安永7年)・18歳

「勝川春章に師事——絵師としての出発点

浮世絵界の大勢力・勝川派の頭領、勝川春章に師事。翌年から「勝川春朗」として作品を発表し始める。この頃から「改名」の習慣が始まる。後に春章の様式を抜け出し、独自の画風を模索し始めたことで勝川派を離れる。

1800年代〜・40〜50代

93回引越しの正体——「掃除が嫌だから」引っ越す

北斎が引越しを繰り返した理由として最も広く知られているのが「掃除嫌い」説だ。娘のお栄と二人で絵に集中するあまり家事を一切せず、食器も持たず惣菜や饅頭の包み紙がたまり放題。部屋が汚れると新居に移るというパターンを繰り返した(現代メディア「葛飾北斎は人生で93回も引っ越しをした」)。同時代の作家・曲亭馬琴は「転居と改号については、この男ほどよく変えるものはいない」と半ば呆れながら語ったと伝えられる(小布施北斎館)。引越しの範囲は広がらず、ほぼ生誕地の葛飾郡(現在の墨田区・江東区周辺)に留まり続けた。

1820〜1833年・60〜73歳

「為一」期——最高傑作を生み出したのは70歳を過ぎてから

61歳で「為一(いいつ)」を名乗り始め、この時期に北斎の代表作が集中する。『冨嶽三十六景』(全46図。当初36図の予定が好評で46図に)は70歳を過ぎてから刊行された。『諸国滝廻り』『諸国名橋奇覧』など次々と傑作が生まれたのもこの時期だ。また75歳の時に刊行した富士図の集大成『富嶽百景』の巻末に、自らの創作観を記した跋文を残している。

1834年・74歳

「まだ未熟だ」——74歳の北斎が残した言葉

『富嶽百景』の跋文に残された北斎自身の言葉は、彼の創作姿勢をよく表している。「6歳頃から絵を描き始め、50歳頃から様々な作品を発表したが、70歳より前に描いた絵は取るに足らないものだった。73歳になって鳥や獣、虫や魚の骨格や草木の生え方がわかってきた。80歳になればそうした摂理がもっとわかるようになり、90歳になってその奥義を見極めることができるだろう。100歳になれば神妙の域に達し、110歳では一点一画が生きているように描けるだろう」と記した(Wikipedia「葛飾北斎」)。

1849年(嘉永2年)・90歳

死の直前まで筆を持ち、「まだ足りない」と逝く

春頃に体調を崩し、浅草の長屋で老衰により90歳で死去。娘のお栄によって葬儀が執り行われ、浅草の誓教寺に葬られた。『葛飾北斎伝』には最期の言葉として「天の神があと10年長生きさせてくれたら、いやあと5年長生きできたら、真正の画工となれるのに」と言って死んだと記されている。

30回改名した本当の理由——雅号は「商品」だった

なぞ太

30回も改名するって、アイデンティティがないみたいで変じゃない?

かぎねずみ

実は江戸時代の絵師にとって「雅号を弟子に譲る」ことは収入になった。北斎は雅号にあまり執着せず、使い終わったら弟子に売り渡し、自分は新しい号を名乗った。「改名=自己更新への強迫」という面と「雅号売買という経済行為」の両面があったとされる。

 研究根拠

なぜ変わり続けることが創造性を生むのか——脳科学で解く

北斎の「引越し・改名・画風の変化」という絶え間ない自己更新は、現代の創造性研究から見ると合理的な側面がある。

新奇な環境が脳を活性化させる

脳は慣れ親しんだ環境では情報処理を省エネ化し、注意力が低下する傾向がある。新しい環境・新しい課題に直面すると、脳の前頭前野を中心とした注意・意思決定に関わる領域が活性化するとされる。北斎が「部屋が汚れたら引越す」という行動で意図せず環境変化を繰り返していたことは、脳への新奇刺激を継続的に与え続けていたとも解釈できる。

「画風の自己否定」が次の突破口を開く

北斎は一つの画風が評価されるとそれを弟子に譲り、自分は次の画風を模索し続けた。創造性研究では「既存の成功パターンへの固執」が創造性の最大の障害とされる。北斎の「弟子に名を譲る」行為は結果的に「過去の自分を手放す」ことでもあり、常に「初心者の目(ビギナーズマインド)」を保ち続けることになっていたとも言える。

「結晶性知能」は老いても衰えない

心理学では知能を「流動性知能」(新しい問題を素早く解く力)と「結晶性知能」(経験・知識の積み重ねから生まれる判断力・応用力)に分ける。流動性知能は加齢で低下するが、結晶性知能は60歳前後にピークを迎え、その後も緩やかに維持されることが研究で示されている(医学書院・週刊医学界新聞、2001年)。また加齢で認知制御が「ゆるく」なることで、無関係な情報を拾い集めて思わぬ連想を生む創造性が高まる可能性があるという研究もある(WIRED.jp、2016年)。北斎が70歳を過ぎてから最高傑作を生み出したのは、この「結晶性知能の熟成」と無関係ではないと考えられる。

梱包材が世界を変えた——富嶽三十六景とジャポニスム

なぞ太

北斎の絵がモネやゴッホに影響を与えたって聞いたことあるけど、どういう経緯でヨーロッパに渡ったの?

かぎねずみ

最初は「梱包材」として輸出品の箱に詰められていたんだ。当時の日本人は浮世絵を「ありふれた大衆品」としか思っていなかった。それを「芸術」として発見したのはヨーロッパ人だった。

 梱包材から芸術品へ

北斎の構図の特徴

  • 近景と遠景の極端な距離感(「神奈川沖浪裏」の大波と富士山)
  • 主題を意図的に小さく描き、自然の雄大さを強調
  • 輪郭線(アウトライン)を明確に描く平面的表現
  • 同じ主題(富士山)を角度・季節・天気を変えて連作にする
  • 大胆なトリミングと省略による「ばえる」構図

影響を受けた西洋画家たち

  • モネ:ジヴェルニーに日本庭園を造り、北斎の連作手法を「睡蓮」「ルーアン大聖堂」等に応用
  • ゴッホ:浮世絵を400点以上収集。輪郭線と平面的な色彩表現を自作に取り込んだ
  • セザンヌ:北斎の「富嶽三十六景」の構図を参照したとされる「サント=ヴィクトワール山」を繰り返し描いた
  • ドビュッシー:交響詩「海」の初版スコア表紙に「神奈川沖浪裏」を使用(着想の根拠は不明)
 浮世絵の構図が西洋絵画を変えた理由

よくある疑問

「冨嶽三十六景」は本当に36枚?

タイトルは「三十六景」ですが、最終的には46枚が刊行されています。当初36図の予定で始まりましたが好評だったため追加制作され、46図で完結しました。そのうち最初の36図が「表富士」、追加の10図が「裏富士」と呼ばれています(Wikipedia「富嶽三十六景」)。

「神奈川沖浪裏」の大波の中に何かが隠れている?

大波の形が鉤爪のように曲がっている部分に小舟が描かれており、遠景の富士山との対比で人間の小ささと自然の力強さを表現しています。「波が富士山を包み込もうとしている」という構図的な緊張感が、西洋画家を魅了した要因の一つとされています。ちなみにこの絵は2024年発行の新千円札の裏面に採用されています。

北斎の作品は今どこで見られる?

東京・墨田区にある「すみだ北斎美術館」が常設展示を行っています。また国内外の多くの美術館に所蔵されており、ボストン美術館(米)には約55,000点の浮世絵が所蔵されています(アダチ版画研究所)。2024年にニューヨークのChristie’sで「冨嶽三十六景」全46図が約5億4,000万円で落札されたことも話題になりました。

北斎の娘・お栄とはどんな人物?

葛飾応為とも呼ばれる北斎の娘で、父と同じく浮世絵師として活動しました。北斎と二人で生活し、絵に集中するあまり家事を一切せず、部屋が散らかり放題だったという逸話を共にした人物です。光と影の表現を得意とし、近年その作品が再評価されています。

北斎をもっと知るなら

すみだ北斎美術館への訪問や、画集・解説書を通じて実際の作品に触れることが、北斎の凄みを実感する最短ルートだ。

なぞ太

93回引越して、掃除するくらいなら引越す——でもその「変わり続けること」が脳を刺激して、70歳過ぎてから最高傑作が生まれた。それが梱包材としてヨーロッパに渡って、モネやゴッホを変えた。なんか全部つながってるね。

かぎねずみ

「まだ足りない」と言い続けた男が、気づかないうちに世界を変えていた。北斎は自分の絵が世界の美術史を書き換えることになるとは、おそらく知らなかった。それがまた面白い。

まとめ

葛飾北斎の「異常な自己更新」と「老いても衰えない創造性」は、奇行や天才気質だけでは説明できない。現代の脳科学と創造性研究が、その行動に合理的な根拠を与えつつある。

「70歳より前の絵は取るに足らない」と言った男の絵が、200年後に千円札の裏面を飾っている。その事実だけで、北斎という人間の深さが伝わる。


【参考文献・出典】

  1. Wikipedia「葛飾北斎」ja.wikipedia.org
  2. Wikipedia「富嶽三十六景」ja.wikipedia.org
  3. 小布施北斎館「葛飾北斎は引っ越し魔だった!?」(2019年)hokusai-kan.com
  4. CINRA「葛飾北斎、引っ越しの数93回。奇行と創造が一体の画狂人生90年」cinra.net
  5. 現代メディア「葛飾北斎は人生で93回も引っ越しをした」gendai.media
  6. asuneta.com「葛飾北斎は改名30回、本名は?生涯&性格について」
  7. サライ.jp「葛飾北斎の長命の源は、気分転換の引越しとクワイ!?」
  8. 刀剣ワールド「浮世絵師『葛飾北斎』の生涯」touken-world-ukiyoe.jp
  9. アダチ版画研究所「北斎の浮世絵に夢中になった西洋の芸術家たち」adachi-hanga.com
  10. アダチ版画研究所「浮世絵の魅力に心酔していたゴッホ」adachi-hanga.com
  11. おうちで名画印刷「葛飾北斎『富嶽三十六景』とジャポニスム」creativepark.canon
  12. 医学書院「脳を育む(3)成人・老年期」週刊医学界新聞(2001年2月)
  13. WIRED.jp「加齢で認知機能がゆるんだ分、創造性は向上しうる」(2016年)
  14. J-POWER GLOBAL EDGE「創造性が目覚める上手な脳の使い方 池谷裕二×北村雅良」
  15. 『葛飾北斎伝』(飯島虚心著・1893年)——死の床の言葉の出典
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