人の名前がすぐ出てこない。さっき何をしようとしていたか忘れた。待ち合わせ場所を確認したのにもう思い出せない——こうした「物忘れ」が増えたと感じている人が増えている。30〜50代の働き盛りでも、スマホの使い過ぎによる脳疲労が物忘れや判断力低下を引き起こす可能性があるとして、脳神経外科医が警鐘を鳴らしている。一方で江戸時代には、スマホどころかメモ帳もない時代に、膨大な知識を記憶するための「術」が発達していた。現代の脳科学が、その合理性を証明しつつある。
なぞ太最近、人の名前がすぐ出てこなかったり、スマホで調べたことをすぐ忘れたりすることが多くて。これって老化?



加齢の影響もゼロではないが、若い世代でも同じ症状が増えている。スマホの使い方が脳の情報処理に負荷をかけている可能性がある。まず脳の仕組みから整理しよう。
スマホが脳に何をしているのか
前頭前野の過負荷——「脳の司令塔」が疲弊する
脳の前頭前野は判断・記憶・感情制御・集中力など、社会生活に必要な高度な機能を担う「脳の司令塔」だ。スマホから絶え間なく流入する情報(通知・SNS・動画・検索)がこの前頭前野に過大な負荷をかけ続けると、情報処理が追いつかなくなり「脳過労」の状態に陥るとされる。NHKのクローズアップ現代が伝えた事例では、スマホ依存度の高い患者の脳で前頭葉の血流が減少していたケースが報告されている。ただしこれが「スマホが直接原因」かどうかは現時点で断言できず、さらなる研究が必要だとされる(サワイ健康推進課)。
「Google効果」——検索すれば済むから覚えない
スマホで調べたことをすぐ忘れる現象は「Google効果」と呼ばれる。「検索すればまた出てくる」という認識が脳に働き、記憶の優先順位が下がるとされる。ただし注意が必要なのは、この現象に関する研究論文には「ググった内容自体は覚えにくくなったが、それがどこにあるかという記憶は上がった」という記述もある。つまり「スマホで記憶力全体が下がった」という単純な話ではなく、「何を・どこで覚えるか」が変化していると解釈するのが現時点では適切だ(Diamond Online)。
置いてあるだけで集中力が下がる
スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏(著書『スマホ脳』)によると、大学生を対象にした研究では、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットに入れておいた学生よりも記憶力テストで好成績を残したとされる。スマホは「使っていなくても存在を意識するだけで」認知リソースの一部を消費するという指摘だ(いわた脳神経外科)。
「スマホが認知症を引き起こす」という断定的な言説には注意が必要です。福井大学医学部附属病院・浜野忠則診療教授によると「現時点ではスマホと認知症が直結しているとは断言できない」とされています。ただし過度な使用で記憶力・集中力・学習機能が低下する可能性を示す論文は多数あると指摘されています。
30〜50代
スマホによる脳過労が特に多いとされる年代(NHKクローズアップ現代)
約60%
スマホ使用者のうち記憶力が低下したと感じる若者の割合(中国・武漢大学の調査)
5時間以上
将来的な認知機能への影響が懸念される1日あたりのスマホ使用時間(福井大学・浜野氏)
スマホのない時代——江戸の記憶術とその科学



スマホがない江戸時代の人たちはどうやって情報を覚えていたの?



外部記憶に頼れない時代だからこそ、「どう覚えるか」の技術が発達した。代表的なのが「素読」と「場所法」だ。面白いのは、この2つが現代の脳科学で合理性が証明されていることだ。
素読——意味より先に「音」で記憶する江戸の学習法
素読とは、江戸時代の寺子屋や藩校で広く行われた学習法だ。論語などの文章を、意味を理解する前にまず声に出して繰り返し読む。意味の解釈は後回しにして「音」として体に染み込ませることを優先する。吉田松陰・福沢諭吉・勝海舟など、幕末の知識人の多くが素読で育った。現代の脳科学では「声に出して読むことで聴覚・視覚・発声運動の複数の神経回路が同時に活性化し、記憶の定着が高まる」とされており、素読の方法論は脳科学的に理にかなっている。
場所法(記憶の宮殿)——2500年前から続く最強の記憶術
場所法とは、覚えたい情報を「特定の場所」と結びつけて記憶する手法だ。古代ギリシャのシモニデスが考案したとされ、江戸時代の記憶術にも応用されていたとされる。2014年のノーベル生理学・医学賞では、脳の海馬に「場所細胞(Place Cells)」という場所記憶専用の神経細胞が存在することが発見され、場所法の脳科学的な根拠が明らかになった。「記憶の宮殿」とも呼ばれ、現代の記憶力チャンピオンが使う技術と本質は同じだ(記憶の学校)。
19世紀のドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスの研究によると、人は新しく学んだことを何も対策しなければ1日後に約67%、1週間後に約77%を忘れるとされる(忘却曲線)。しかし1日後・1週間後・1ヶ月後と間隔を空けて繰り返す「分散学習」を行うと、長期記憶として定着しやすくなることが示されている。江戸の素読が「毎朝繰り返し読む」形式だったことは、この分散学習の原則と一致している。
出典:Wonder Education「簡単に実践できるおすすめ記憶術トレーニング14選」(エビングハウスの忘却曲線に関する解説)
今日から使える——物忘れを減らす3ステップ
集中したい作業・食事・会話の時間は、スマホを引き出しや別の部屋に置く。「サイレントモードにしてポケットに入れておく」だけでは不十分で、「存在を認識しないこと」が集中力の維持に効果的とされる。まず1日30分から始め、脳に「スマホなしの時間」を習慣として作る。
スマホで調べた情報を覚えたいときは、「すぐ写真を撮る」「そのまま閉じる」ではなく、紙に書くか声に出して復唱する。複数の感覚(視覚・聴覚・手の運動)を使うほど記憶の定着率が高まるとされる。江戸の素読が「声に出して繰り返す」を重視したのも、この原理と一致している。
買い物リスト・仕事のタスク・覚えたい知識を「場所」と結びつけて記憶する。例えば「玄関→牛乳、リビング→会議資料、キッチン→電話する人の名前」というように、自宅の部屋を記憶の棚として使う。脳の海馬には場所専用の記憶細胞(場所細胞)があり、場所と結びついた記憶は他の記憶と混合されにくく長期間保持されやすいとされる。
やってよかったコツ&やりがちNG
- 睡眠を優先する:脳の海馬に蓄積された記憶は睡眠中に長期記憶として整理される。寝る前のスマホは睡眠の質を下げ、この記憶定着のプロセスを妨げるとされる。
- 「後で調べる」より「今考える」を増やす:わからないことをすぐ検索せず、まず自分で考える時間を作ることが脳の思考回路を使うトレーニングになる。
- 覚えたいことは「1日後に思い出す」:エビングハウスの忘却曲線に基づき、翌日に意識的に復習することで長期記憶への定着率が高まるとされる。
- 運動を取り入れる:有酸素運動が海馬の神経新生(新しい神経細胞の生成)を促すことが複数の研究で報告されている。
- マルチタスクでスマホを使う:テレビを見ながら・会話しながらスマホを操作するマルチタスクは前頭葉のエネルギーを大量消費し、脳疲労を加速させるとされる(福井大学・浜野氏)。
- 寝室にスマホを持ち込む:ブルーライトがメラトニン分泌を抑制し、睡眠の質を下げる。睡眠中の記憶整理が妨げられる可能性がある。
- 「老化だから仕方ない」と諦める:日本経済新聞の脳科学特集によると、知識量は80代まで増やせることが研究でわかっている。記憶力の低下を年齢だけで片付けるのは早計だ。
よくある疑問
「スマホ認知症」は本物の認知症と同じ?
異なります。スマホ認知症(スマホ脳疲労)は脳の疲労から来る一時的な機能低下とされており、スマホ使用を減らして脳を休めることで回復が期待できるとされています。本物の認知症(アルツハイマー病など)は神経細胞の変性・死滅によるもので、原因・経過・治療が根本的に異なります。「スマホが直接認知症を引き起こす」とは現時点では断言できないとされています(福井大学・浜野忠則診療教授)。
物忘れはいつから受診を考えるべき?
単なる物忘れ(名前がすぐ出てこない・置き場所を忘れるなど)は日常的に起こりますが、「同じことを何度も聞く」「最近の出来事をまるごと忘れる」「日常生活に支障が出ている」「性格が変わった」などの症状がある場合は、神経内科や「もの忘れ外来」への受診を検討することが推奨されています。本記事は医療アドバイスではありません。
高齢者のスマホ使用は認知症リスクを高める?
必ずしもそうではありません。福井大学の浜野診療教授によると「日常的にスマホを使う高齢者は、使わない高齢者と比較して認知症の比率が低いと報告されている」とされています。問題は「過度な依存(1日5時間以上など)」であり、適度な使用は社会参加や情報収集の観点でむしろ有益な可能性もあるとされています。
子どものスマホ使用はどう考えるべき?
東北大学・川島隆太教授の追跡調査(仙台市の児童・生徒約7万人を10年以上追跡)では、スマホ・通信アプリの長時間使用グループと全く使用しないグループの間で学力に差が見られたと報告されています。また3年間のMRI追跡では、スマホ使用頻度が高い子どもで大脳の発達に遅れが見られたとも報告されています。ただし「スマホが原因か」の因果関係については議論が続いており、使用時間のコントロールと使い方の質を検討することが現実的な対応といえます。
脳と記憶について深く知るなら
スマホが脳に与える影響を科学的に解説した『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著)は、世界で500万部以上を売り上げたベストセラーだ。記憶力を鍛える観点では、場所法・素読などの記憶術に関する書籍も充実している。



スマホで調べた情報をすぐ忘れるのは「覚えなくていい情報」と脳が判断してるからか。江戸の人が素読で丸暗記できたのは、外部記憶がなかったから必死に覚えるしかなかったわけだ。



そう。「覚える必要がなくなったから覚えない」は脳の合理的な判断でもある。問題は、覚えることをやめると記憶回路が使われなくなること。道具に頼るほど、道具なしでは機能しにくくなる——これがスマホと脳の関係の本質かもしれない。
まとめ
「物忘れが増えた」のは加齢だけが原因ではないかもしれない。スマホの使い方と脳の働きの関係を知ることが、記憶力を守る第一歩だ。
- スマホからの情報過多が前頭前野に負荷をかけ、記憶力・集中力・判断力が低下する「脳過労」状態を引き起こす可能性があるとされる(NHKクローズアップ現代)。
- ただし「スマホが認知症を引き起こす」という断定は現時点では科学的根拠が不十分で、過度な使用が問題とされる(福井大学・浜野氏)。
- スマホは「置いてあるだけで」認知リソースを消費する可能性がある。集中したいときは視界から外すだけで効果があるとされる。
- 江戸の素読(声に出して繰り返し読む)は、複数の感覚を同時に使うことで記憶定着を高める——現代の脳科学と一致する方法論だ。
- 場所法(場所と情報を結びつけて覚える)は2014年ノーベル賞の「場所細胞」発見により脳科学的根拠が裏付けられた、最も長期記憶に残る記憶術の一つとされる。
- 記憶定着には睡眠・分散学習・声に出す・書くの組み合わせが有効とされる。スマホより先に「脳の使い方」を整えることが重要だ。
江戸の人々はスマホなしで膨大な知識を頭に入れた。その方法は「必死だったから」ではなく、脳の仕組みに沿った合理的な技術だった。現代でも、その技術は使える。
【参考文献・出典】
- NHK クローズアップ現代「”スマホ脳過労” 記憶力や意欲が低下!?」nhk.or.jp
- RKB毎日放送「”スマホ脳”で記憶力・集中力が低下」(川島隆太教授・アンデシュ・ハンセン氏取材)rkb.jp
- 大正製薬「集中力や記憶力が落ちていませんか?「スマホ脳疲労」に注意」(奥村歩医師監修)taisho-kenko.com
- サワイ健康推進課「原因はスマートフォンの使い過ぎ!?「脳過労」を防ぐデジタルデトックス術」(枝川義邦・立命館大学教授)kenko.sawai.co.jp
- いわた脳神経外科「スマホ認知症とは?スマホ依存がもたらす”脳の老化”と認知症リスク」cliniciwata.com
- 医療ジャーナル「スマホ認知症 ~過度な使用で記憶力低下(福井大学・浜野忠則診療教授)」medical.jiji.com
- Diamond Online「「スマホ依存でバカになる」…実は科学的根拠のないネガティブ洗脳だった!」(2024年)diamond.jp
- アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』(新潮新書・2020年)
- Science Portal China「スマホ認知症 記憶力低下に注意」(武漢大学・肖勁松准教授)spc.jst.go.jp
- 松南志塾「かつての偉人を育てた日本の教育『素読』」risshi50.jp
- 記憶の学校「場所法の脳科学的メカニズム——2014年ノーベル賞と場所細胞」kioku-gakko.jp
- Wonder Education「簡単に実践できる記憶術トレーニング14選」wonder-education.co.jp
- STUDY HACKER「読書が脳にもたらす効果とは?」(東京大学・酒井邦嘉教授)studyhacker.net
- 日本経済新聞「スタンフォード流勉強法 脳科学生かし記憶力アップ」(2022年)nikkei.com


